大判例

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東京高等裁判所 昭和35年(ネ)700号 判決 1972年7月28日

控訴人

大住清

右訴訟代理人

松永芳市

清水有幸

被控訴人

株式会社銀座凮月堂

右代表者

横山厳

右訴訟代理人

松本光

主文

本件控訴は、棄却する。

控訴費用は、控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

(争いのない事実)

一控訴人の先代が、本件図型商標について明治三二年七月三〇日商標登録(登録第一四七三六号)を受け、右商標権につき大正九年一二月二五日更新登録(大正九年七月二四日更新登録出願、登録第一二四〇二四号、指定商品は明治四二年農商務省令第四四号商標法施行細則(以下「明治四二年商標法施行細則」という。)第二〇条第四三類干菓子、蒸菓子、掛け物、砂糖漬および西洋菓子)がされ、また、本件文字商標について大正四年一二月一日明治四二年商標法施行細則第二〇条第四三類菓子および麺麭類一切を指定商品として登録出願をし、大正五年一月二〇日商標登録を受けたこと、その後右各登録商標につき控訴人主張の経過による存続期間の更新および営業とともにする譲渡がされて現に控訴人がその権利者であること、被控訴人が控訴人主張のとおり本件各商標と同一または類似の標章を使用して右指定商品と同一の菓子類を製造販売していることは、当事者間に争いがない。

(先使用権の有無について)

二被控訴人の抗弁につき審究するに、被控訴人は、その主張のとおり先使用による使用権を取得したものということができる。すなわち、

1  YMは控訴人の先々代の営む月堂の使用人であつたが、多年の功労により東京両国の若松町に「のれん」を分けてもらい、本件各登録商標と同一の標章を使用して菓子類の製造販売を始めたこと、その次男YTが、遅くとも明治一〇年ごろ、分家すると同時に京橋南鍋町(現在の中央区銀座西六丁目四番地)に開店し、控訴人先々代の許しを得て同店を「銀座月堂」と呼ぶとともに、本件文宇商標に類似する右標章および本件図型商標と同一の標章を使用して菓子類の製造販売を開始したことは当事者間に争いがなく、原審および当審における証人YSの証言によれば、YTによる右銀座月堂の個人営業は昭和六年ごろ合資会社の設立に至るまで連綿として続いたことが認められ、これらの事実によれば、YTは本件各登録商標の登録出願前から長年に亘り、善意で、菓子類に本件各商標と同一または類似の標章を付して製造販売しており、右標章はYTの経営する銀座月堂の菓子類を示すものとして、取引者または需要者の間にひろく認識されていたことを容易に推認することができ、これを覆すに足る証拠はない。

したがつて、YTは、旧商標法の施行日である大正一一年一月一一日以降本件各商標権に対し、「銀座月堂」の文字商標および本件図型商標と同一の図型商標を菓子類に使用するにつき、先使用による使用権を取得したものというべきである。

2  控訴人は、先使用権に関する規定は旧商標法により初めて設けられたのであるから、同法施行前の法制下で登録された本件各商標権に対しては先使用権を主張する余地がない旨主張するが、旧商標法がその附則において一定の経過規定を設けながら、その施行前から使用されている標章の使用権の存否を旧法である明治四二年法律第二五号商標法(以下「明治四二年商標法」という。)により定むべきことについて何らの規定をも設けなかつたことに徴すると、他人の登録商標と同一または類似の標章等の使用権の有無については、旧商標法施行後にあつてはすべて同法第九条の規定により決定すべきものとした趣旨と解するを相当とし、本件についてこれをみるに、本件各登録商標のうち図型商標は、明治四二年商標法附則第三項において準用せられる明治四二年法律第二三号特許法第九九条の規定により、同年一一月一日以降明治四二年商標法により受けたものとみなされ、さらに、本件文字商標ともども、旧商標法第四〇条第一項の規定により、大正一一年一月一一日以降旧商標法によりしたものとみなされたのであるから、同法第九条の規定に基づき同法施行の日以後、YTは本件各商標権に対し、菓子類につき前記各標章を先使用により使用する権利を取得したと解すべきであり、これと異なる控訴人の見解は、当裁判所の賛同しがたいところである。

3  YTが本件標章の使用を始めたのが明治一〇年ころ控訴人の先々代からのれんを分けてもらつた結果であることは前認定のとおりであり、明治初年に菓子の製造販売業者の間で行なわれた「のれん分け」が、多分に親方、子方の観念に由来し、老舗の営業主が、永年勤続して功労があり、菓子の製造技術に優れ、かつ、人格的にも信頼のおける使用人に対して、老舗ののれんを分け与え、自己と同一または類似の商号なり商標を使用して、自己と同一または類似の菓子類を製造販売することを許容し、これを許された者は、旧主の恩義に報いるため、以後も本家の意向を尊重し、取り扱う商品の品質の維持や老舗の名声の向上のために協力し、尽力するというような色合いのものであつたことは、顕著な事実である。しかして、原審証人S、同M、原審および当審における証人YSの各証言ならびに控訴本人(原審および当審)の尋問結果の各一部には、月堂の本家が「のれん分け」をした場合においても、そののれん(商号および商標)はあくまでも本家のものであり、のれんを分け与えられた者(分店)はこれを無償で借り受けているにすぎず、原料の仕入、製造方法、包装、価格等についても引き続き本家の統制が及び、分店においてのれんを傷つけるような不都合な行為があれば、いつでものれんを取り上げるという約束がある趣旨の控訴人主張に副う供述が散見するが、右各供述をさらに仔細に検討すると、のれんを分け与えられた者が分店を開設する際、その資金を本家に仰ぐわけでないばかりでなく、本家と分店とはあくまでも別会計の独立した企業であり、一つの企業における本店と支店の関係とは異なること、「のれん分け」に際して、のれんを傷つけるような不都合がないよう注意があるといつても、それは単に本家の主人が一場の精神訓話を垂れるという程度のもので、分店を法律的に拘束するような約束をしたり、それを書面に記載して取り交したりするまでの一般的な慣行があるわけでなく、本件においても、控訴人の先々代とYTとの間に、如何なる約束があつたかは一切不明であること、控訴人の先々代以来「のれん分け」は数多く行なわれたが、分店に不都合があつたとの理由でのれんを取り上げた事例は皆無であり、YTの場合も、長年の間、一度も問題が起きたことがなく、たとえば、同人が借財のため破産に瀕したときも、本家としては、なんらの策も施さず、これを放置していたこと、本家より分店に対する各種の統制なるものも、当初はある程度行なわれていたものの、時が経つに従つて次第に有名無実のものと化していつたことが認められ、<中略>

前掲各事実によれば、控訴人の先々代ないし先代とYTとの間柄は、これを精神的、道徳的な基準から見た場合には、依然として親方、子方の関係として把えることができたにしても、法律的観点からすれば、両者はあくまでも別個、独立の企業であり、その商標の使用関係も、当初は「のれん分け」に由来するとしても、その後においては、分店であるYTがこれを自己のものとして独立に使用するに至つたものというべきである。これに反する控訴人の主張も採用できない。なお、旧商標法第九条第二項は、控訴人主張のとおり、商標権者と先使用者との間の混同防止義務について規定するところがあるが、そうであるからといつて、本件のように、商標権者からの「のれん分け」により同一標章の使用を開始した者に同法条による先使用権が認められる余地がないと断ずることは妥当ではない。

4  YTは銀座月堂を個人経営していたが、昭和六年ごろこれを合資会社組織とし、さらに同年一二月一四日被控訴会社に組織を変えたことおよび同人は昭和七年一二月二七日死亡し、YSが相続したことは当事者間に争いがない。控訴人は、右会社設立に際し、本件の各標章使用権はYT個人に留保され、右合資会社ないし被控訴人には承継されなかつた旨主張し、原審ならびに当審における証人YSの証言および控訴本人尋問の結果中に、これに副う供述があるが、右はいずれもYTによる本件各標章の使用が「のれん分け」に由来するものであり、一身専属的であり、かつ、個人に対してのみ許され、法人への譲渡は認めないという、「のれん分け」についての一定の認識、判断が前提となつているものであることがその供述自体に徴し明らかであるところ、右のような認識が法律的には正当でないことは前説示のとおりであるから、これを前提とする前記各供述が採用できないことも明らかである。しかして、前認定のとおり、YTは、旧商標法施行の日以降、すでに、本件商標に対して、これと同一または類似の標章を、菓子類に使用するにつき、先使用による使用権を取得したのであり、それは一身専属的なものではなく、営業と共にする以上は、これを法人に対しても譲渡することができる性質のものであり、この事実と、<書証>および原審証人Hの証言、原審および当審における証人Oの証言ならびに弁論の全趣旨により認めうベき前記各会社がY一族の個人会社であつたとはいえ、会社設立後にこれとは別個にY個人の営業が併存したわけではなく、YTの個人経営にかかる銀座月堂の営業は、結局、すべて被控訴人に承継された事実とを併せ考察すれば、本件標章の先使用権もまたこれと共に被控訴人に承継されたものと推認するのが自然であり、他にこれを覆すに足る証拠は存しない。

したがつて、被控訴人は、その設立当初より、旧商標法第九条第一項後段の規定により、本件商標に対して、YTが有していた前認定の先使用による使用権を取得したというべきである。

(調停による使用の終了および使用許諾の取消について)

三1 被控訴人の代表者であつたYSとその専務取締役であつたHの遺族との間で、昭和一七年ころ、被控訴人の経営および債務の整理に関して紛争が生じ、株券引渡等請求の訴訟が係属したこと、被控訴人の店舗等が戦災によつて焼失する等の経過があり、被控訴人が、終戦後しばらくの間、菓子類の製造販売をしていなかつたこと、昭和二一年五月一八日右訴訟事件につき当事者間に調停が成立したことおよびこの調停によりYSが被控訴人より戦災前の店舗敷地の借地権を譲り受け、しばらくの後、同所において、被控訴人の商号と類似した商号を用い、かつ、本件商標と同一の標章を使用して菓子類の製造販売を開業したことは当事者間に争いがない。控訴人は、被控訴人が右調停の結果、その営業および本件標章の使用を終了するに至つた旨主張し、原審証人M、原審および当審における証人YSの右証言ならびに控訴本人(原審および当審)尋問の結果中にはこれに副う供述部分がある。しかし、成立に争いのない乙第二号証の一(調停調書)によれば、前記調停において合意された内容として、被控訴人が遠からず解散をすることを前提としているかのような事項もないではないが、全体としてこれをみれば、むしろ被控訴人の営業の存続を前提としつつ、被控訴人の経営から手をひいて、みずから同種の営業を開始する意向の強かつたYSとの間において、種々調整を図る趣旨の条項が主となつており、このことと、原審証人H、原審および当審における証人Oの各証言とを併せ考えると、控訴人の主張に副う前記各供述部分もまた信をおきがたく、他に控訴人の前記主張事実を証するに足りる証拠はない。なお、被控訴人が終戦後しばらくの間菓子類の製造販売をしていなかつたことは前認定のとおりであるが、原審証人Oの証言によれば、その理由は、終戦後しばらくの間砂糖等の入手が意に任せず、また、営業用の店舗、倉庫等が焼失していて、菓子類の製造販売が事実上困難であつたために他ならないことが認められ、これをもつて被控訴人が当時その営業を廃したとか、本件標章の使用権を放棄したとかいうことができないのはもとよりである。

2 控訴人は、さらに、本訴において被控訴人に対し、その標章の使用許諾を取り消したから、被控訴人はその商標ないし商号を使用することができない旨主張するが、右の主張はいずれも被控訴人による本件標章の使用関係が控訴人よりの使用許諾に基づくものであり、かつ、控訴人においてこれを取り消しうる法律関係にあるとの見解を前提とすることが明らかである。しかし、被控訴人による本件標章の使用権原は、前認定のとおり、旧商標法第九条第一項の規定(昭和三四年法律第一二七号商標法が施行された昭和三五年四月一日以降は、同法施行法第四条の規定に基づき、同法第三二条第一項)による先使用権であるから、控訴人の右各主張はその前提において誤つているというべきである。

(むすび)

四叙上のとおり、控訴人の本訴請求は、進んで、その余の点につき判断するまでもなく、すべて失当として棄却すべく、これと同趣旨に出た原判決は正当である。よつて、本件控訴は棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(三宅正雄 武居二郎 友納治夫)

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